7月5日
先週、電話がありました。
まず、6月30日(木)に近畿大学医学部産科婦人科医局の先輩から。「福島は大変そうやけど阿部は大丈夫なんか?」と。大阪では報道されていないこともあるようで、福島県、特に郡山のことを説明しました。「郡山は原発から離れているから大丈夫なんやと思っていた・・・」「おれの別荘が白浜(和歌山県)にあるから、家族と一緒に休養がてら、羽田から飛行機に乗って白浜空港までバ~ンと飛んでおいでよ」と。でも、患者さんもいるし、僕には守らなくてはいけないものがたくさんあるからいけない旨、話しました。「わかった。でも、無理だけはせんときや。疲れたらいつでも言っておいでや」塩田先生、本当にありがとうございます。すごく、すごく、うれしかったです。
7月2日(土)には近畿大学医学部時代の友人たちから。「今、みんなで酒飲んでんねんけど、あべちゃんの話題になって、どないしてる?」達つぁんはいつも、僕が落ち込んでいたり、気が滅入っていたりすると必ずと言っていいくらい、テレパシーが届くのか電話をくれるんです。本当にたよりになる兄貴分です。石井君は大学卒業後、話したのは初めてかな?広島出身で今も広島在住です。大学時代にお父さんが大阪に来られた時、焼肉をごちそうになったことを思い出します。「親父は広島で原爆にあったけど元気にしているし、自分もその親父の子供として生まれて今こうして元気にしているんやよ・・・」何よりもうれしい励ましです。薩摩君はバスケットボール部時代の後輩ですが現在、整形外科医です。「阿部さん、おれ、整形やから、毎日、かなりレントゲンで放射能浴びているけど元気ですよ」彼なりの精いっぱいの励ましなんでしょう、うれしかったよ。山住は僕と年齢も一緒で入学、卒業も一緒で麻酔科医です。僕が医局時代、手術の際、よく麻酔をかけてもらいました。そして麻酔管理も教えてくれました。「あべちゃん応援に行くわ」と言ってくれましたが原発がおちついたら遊びに来てと言ったら「それでは全然応援になれへんやん」と。本当に気持ちだけでうれしかったよ。
どんなに離れていても日本中で少しでも僕のことを気にしてくれている人がいてくれているということはすごく幸せなことです。負けてたまるか!!